天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨(てんそんこうりん)(瓊瓊杵尊が葦原中国(あしはらのなかつくに)、すなわち日本列島に降臨すること)に際して、三種(さんしゅ)の神器(しんき)(八咫鏡(やたのかがみ)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)・八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま))を授けました。このとき天照大御神は、三種の神器のうちの八咫鏡(やたのかがみ)について、次のような神勅(しんちょく)を下されています。
『古事記』には「此れの鏡は専(もは)ら我が御魂として、吾が前を拝(いつ)くがごとく、斎(いつ)き奉(まつ)れ」、また『日本書紀』には「吾が児(みこ)、此の宝鏡(たからのかがみ)を視(み)まさむこと、まさに吾を視るがごとくすべし」と記述されています。これらの神勅に、神鏡の起源を求めることができるでしょう。
説はさまざまありますが、鏡は古来から祭祀(さいし)において、種々の祭具の中でも特に大きな役割を担ってきたことは明白な事実です。『日本書紀』から引用した神勅の中に「吾を視るがごとくすべし」とありますが、これは神さまのお姿は目に見えないが、この鏡を神さま自身と思って見よということなのです。つまり物理的な視力で見るのではなく、心眼をしかと見開いて見よということなのです。