鎌倉時代から室町時代へと神社はどのように変化しましたか

神社・神道とは

 鎌倉幕府の基本法である「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」の初め(第一条)に「神社を修理し祭祀(さいし)を専らにすべき事」とあるように、幕府は神仏を保護しました。 そして寺社奉行(じしゃぶぎょう)を設置し、社寺関係の事務に専従させました。源氏の氏神である鶴岡八幡宮(石清水(いわしみず)八幡宮より勧請(かんじょう))は幕府の守護社に位置づけられ、そこに奉行人を置いて神社事務にあたらせています。このことから幕府と神社の関係の深さがうかがえます。
 やがて、南北朝期、国家の統一力は失われ、社寺を保護することもできず、官社(かんしゃ)への奉幣もままならず、荒廃する神社も多かったようです。 室町幕府の社寺関係制度は、鎌倉幕府のそれを踏襲したものでしたが、社寺の事務の複雑化に伴って、神社の事務をつかさどる社家奉行(しゃけぶぎょう)と寺の事務をつかさどる寺家奉行(じげぶぎょう)が置かれました。一般庶民の神社信仰は盛んで、伊勢講や熊野講などの有名神社の「講」組搬がいくつもできたのはこの時期です。